先日友人から、牧野宗永さんを紹介されました。
中学の時に、仏教的な生き方に共感してその道に進んだ人です。その後8年間チベット仏教僧院に滞在するなどの経歴の持ち主で、現在「仏教文化コミュニケーター」として活躍しています
その牧野さんが、本を出されるとのことで早速取り寄せて読み始めました。
今週の読書は、「なぜ殺してはいけないか ー 生まれ変わりと因果の法則」です

第1章 人はなぜ生きるのか
第2章 死は終わりではない
第3章 苦しみのない世界はあるのか
第4章 自分に絶望してはいけない
第5章 生きるのが辛くなる時
第6章 なぜ殺してはいけないか
終章 瞑想で自分を楽にする
私も仏教的な生き方に共感します
小川純
小川先生の宗派は?
うちは、浄土真宗・大谷派です。
「百姓の持ちたる国」といえばいいのかな、
尾張からやってきた前田家の殿様に負けた、情けない宗派だな。
小川先生は、死んだら「極楽浄土」へ行く予定ですか?
それとも、「地獄」へ行く予定ですか?
仏教的な生き方をするなら、死んだときにどちらへ行くか、決めておいた方がいいです。 ちなみに、わたしは、もう、決めてます。
人間には、
・確実に、極楽浄土へいける人(良いことや、他人への貢献をしてきたた人)
・確実に、地獄へたたき落とされる人(悪いことばかり、してきた人)
の他に、「どちらに行くか、微妙な人」もいるはずです。
試験の時、些細なことで、合格/不合格が決まるように、
多くの人(というか、良いことと悪いこと、どちらもしてきた人)は、死んだときに、(生きている間の)些細な出来事で、極楽浄土にいけるか、地獄にたたき落とされるか、運命の分かれ道・・・みたいなのがあると思います。
もしかしたら、「ブログのコメントに、返事を返さなかった」という理由で、地獄行きになるかもしれない。 もしかしたら、返事を返していたら、天国に行けたかも・・・みたいことがあるかもしれない。
こういうのも、生き方・考え方ですね。
ブログのコメントに返答して、極楽浄土へ行くか
返答せずに、地獄へ行くか
自ら厳しい地獄への道を進む。 それも一つの生き方。